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しこうの楽しみ

2019年第1週の傾向

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
どのような年越しだったでしょうか。

この朝はどのような心持ちだったでしょうか。
毎度お馴染みではありますがこの切り替わりは特別な意味があるような気がしてしまいます。
日々の連続の中の一旦であるだけのはずですがそれだけではない要素を感じます。

どことなく例年よりも穏やかなはじまりでしょうか。
それとも早々に仕事に向かう心持ちでしょうか。
きっと様々な想いがあることだと思います。

少なくともそのどちらも混在し得る雰囲気です。
現実的な変化が出やすい流れを感じつつ抵抗感が強まることもあるでしょう。
実際に勝負の機ととらえている人も多そうです。

そうでなくとも新たなタームに入る感じは得やすいかもしれません。
どうであれ変化に柔軟に対応していきたいものです。
概ねそういった向きのありそうな2019年です。
流されるままに受け取る感覚で過ごしていきたいものです。

さて今週の傾向です。
アクセルとブレーキの拮抗という状況かもしれません。
急にやる気がでる部分と動きたくない部分の差がありそうです。

これは同じ対象に交互することもあればタスクによって変わることもありそうです。
少なくとも観念的にやるべきという発想での行動はストップがかかりやすいでしょう。
潜在意識の力が強まる雰囲気です。

つまり本心と合っていればフォローでそうでなければアゲインストという様子です。
ということで重要なのは素直でいることでしょう。
まずはどうしたいのかをキャッチするとことに注力すると良いと思います。

これが元々得意だったとしても再確認したいところです。
結局のところそれも階層を為しているためです。
なのでできる限り深い欲求とつながっていきたいわけです。

きっとそれは自己信頼につながり自己一致に力をかけることでしょう。
せっかくの休み期間に自由奔放に振舞ってみるのも効果的かと推測します。
とにかくやりたいことで動くことを大切にして過ごしてみましょう。

くれぐれもこの期間に停滞することのないようにしたいものです。
6日までのペースが一年を暗示し得るためです。
個人的には原稿提出目前なのでラストスパートをスタートダッシュと重ね合わせることにします。

谷 孝祐
2019.1.1

2019年の初受け取り

今年の流れは早くも強くなっているのでしょうか。
久々に気を失うように眠ってしまいました。
年越し瞑想会の夜更かしの影響もあるでしょう。

親族の新年会での疲れもあるかもしれません。
とはいえそれだけではない印象でした。
自宅に戻る道すがら起きていられないくらいの眠気が始まりました。

まるで睡眠不足の長距離ドライブの時のようでした。
半ば居眠り運転になろうかというくらいの状態でした。
こんなことは滅多にありません。

少なくとも自分にとっては異常な体感でした。
そして帰宅するとそのまま布団に倒れ込みました。
飲みすぎた時にそういうことがあるくらいでこれも珍しいことです。

そこから気を失ったように寝続けました。
気づけば3時間半ほど経っていました。
これでどことなく例年とは違う空気感をキャッチし始めました。

お正月という概念とどこか変わってしまった印象だったのです。
この時期がより日常の一端でしかないものになった気がしました。
よく言えば伝統的な風習に囚われにくくなったということでしょう。

自己一致した状態で過ごしやすくなったのかもしれません。
確かにこの元旦はお酒を飲みませんでした。
いつぶりのことか分かりません。

昨年の終盤からの指針がどうやら定着してきたようです。
それは飲みたいものがなければ飲まないという方向です。
質が良いものは揃っていましたがそういう気分になりませんでした。

場の雰囲気に引っ張られることなく自然とその選択になりました。
どこかそういう時は飲むべきという固定観念があったのかもしれません。
結果的に食べ過ぎにもならずに済みました。

実際にはこれで良いのか悪いのかは分かりません。
いずれにせよ思い返せばこの体験でどことなく家系の輪から出られた気がします。
くっついていたものが剥がれて風に飛ばされていくようなイメージが出てきました。

関わり方が大きく変わるわけではありませんが親子関係が完全クリアになったとも推測します。
だからなのかその家庭に生まれた意義への受け取りも深まりました。
人が多くて雑然としていて落ち着かない環境があったからこそ許容や柔軟性を持てたのだと思います。

自由奔放が否定されないからそういう状況になるわけですがそこに自己承認と他者承認が内在していたわけです。
そのため必要な意味での諦めも早々に生まれたのでしょう。
これがあったからこそ原因究明的発想になり過ぎず目の前の状況からできる範囲の働きかけをする立ち位置ができてきたのだと考えられます。

どうやらこれへの自覚は大きなもののようです。
無意識にあったこの家族に生まれた理由への疑問が解決したのでした。

谷 孝祐
2019.1.2

潜在意識深くの地殻変動

今週の流れなのでしょうか。
これからしばらくのことでしょうか。
2019年を貫く可能性もなくはありません。

どことなく今までにない体感に支配されている雰囲気です。
強い圧力がかかっているのでしょうか。
確かにそんな気もします。

特にそれはリラックスした時にとらえられるものです。
こんなことは初めてかもしれません。
面白いものだと思います。

まるで海底の地殻変動が地球規模で始まったかのようなイメージです。
だから不安定になりやすい気もします。
それは潜在意識の深くでの動きというイメージです。

より具体的には下腹部以下で揺らいでいる何かへの実感です。
だけどみぞおちや頭は静かです。
潜在的なプロセスのみが一気に進んでいるのでしょうか。

感覚だけで言語的な気づきは出てきにくい雰囲気です。
とはいえこれはあくまで個人的なことです。
まだまだクリアでない状態であったらこれが課題の噴出につながるかもしれません。

不安や怖れが助長されるのかもしれません。
ただ抑圧しやすいとも推測されます。
なので分離感が進む可能性もあります。

生じてくるものを素直に見つめられるのかが分かれ道でしょう。
うまくいけば急速に自己統合が進むのでしょう。
しかし自己分裂的な方向へも進みやすいとも言えそうなわけです。

もちろんしばらくはその間でせめぎ合う人もいるのかもしれません。
いずれにせよ変化への圧力が強まるわけです。
ということでより素直に過ごしたいところです。

思考のテンションを落として気の向くままに動きたいところです。
なるべく固定観念に囚われず今の感覚に従うのが良いと思うのです。
ただ一般的にはこれは簡単ではないのかもしれません。

ということで少しでもその要素を増やしたいところでしょう。
もしこれに苦手意識があるなら今年の指針にする方法もあります。
そこまででないにしても今年の始動として意識しておきたいものです。

谷 孝祐
2019.1.3

豊かさの新たなステージ

近年は3が日のどこかでセラーのワインを1本開けるのが定番化しています。
決めているわけではないのに自然とそうなるのです。
年の始まりを祝ってというのでしょうか。

何となくそんな気分になるのです。
それもかなり遅い時間からです。
大概は実家での新年会が終わったあとのことでした。

しかし今年はそういう雰囲気でもありませんでした。
お正月に非日常感がなくなった影響だったのかもしれません。
ただ結果的に新たなパターンになりました。

無意識的には午後に妹の子どもが生まれたことも関係していたのでしょうか。
ちょうど出版予定の原稿の目処がたったのもあったでしょう。
何となくそれを読む返しながら飲むことにしました。

自宅でのことです。
これが初めてのことでした。
一緒に飲む相手は甘口ワインが好みです。

なのでそうすることにしました。
今まではシャンパンか辛口白だったところからの変化でした。
持っている甘口がイベント以外で開くのは何年ぶりかというタイミングでした。

おそらく10年以上は経ったと思います。
そのくらい珍しいことでした。
飲みきれないことを考えて躊躇してしまっていたのです。

そこも気にならなくなったようでした。
すでに食事で満腹だったのでこれが丁度良かったのかもしれません。
デザート片手にタラタラと深夜を過ごす感覚でした。

開けたものは国産貴腐ワインで生産されたのが1950本程度だったものです。
そこまで高価というわけではないものの1997年にたまたま条件が整って作られた貴重なものです。
自宅セラーに適したものがこれしか入っていないための選択でした。

それを気にせず飲めるようになったのも変化でしょう。
信頼できるルートでは2度と手に入らない確率の高いものです。
もちろんクオリティも折り紙つきです。

ということで上質な時間を過ごすことができました。
翌朝早起きなのに睡眠時間を削ることも気にならずある種の浪費をしたのも初めてかもしれません。
横では吹奏楽部をテーマにした映画が流れてその音声から懐かしさを感じつつという雰囲気でした。

だからなのか時間の豊かさが体に染み入るようでもありました。
ここまで気楽なリラックス感のある日常の一端は新領域だったかもしれません。
ゆったりのイメージが書き換わったかのようです。

これからはこういった境地も大切にしていこうと思ったのでした。

谷 孝祐
2019.1.4

罰ゲームのような執筆の完了

大仕事を一つ終えました。
昨年から持ち越してきたものです。
2ヶ月強のプロセスでした。

当初は本当にできるのかと思ったものです。
算段の立たないチャレンジだったのです。
予定外で初めてのことで計画が立たなかったわけです。

しかも1年で最も忙しいとも言えるタイミングにぶつかりました。
だからとにかくやるしかないという心持ちでした。
これは3月出版予定の本の原稿についてです。

今回はライターが入っていたのですがどうにもうまくいかず最終的にリライトの必要が出てきたわけです。
やるはずではない仕事があてがわれたかのようでした。
元原稿の構造を読み解きながら整理していく作業は根気のいるものでした。

実際にかなりの時間がかかるものでした。
原稿用紙2枚強程度で平均2〜3時間くらいだったかと推測します。
なので延べ200時間くらいの作業だったのかもしれません。

自分にとっては非常にローペースです。
実際に全部書き直したような気分でもあります。
ちなみにある章は丸々別物になりました。

スケジュールの合間を縫ってなかなか大変でした。
予定して時間を開けていたらそれでも難なくできたでしょう。
時間さえあればという気分によくなったものです。

とはいえストレスがかかる分だけ受け取りも大きかったのかもしれません。
その気にさえなれば普段の生活を送りながら本が書けることが立証されたわけです。
それとの向き合い方も身につけた気はします。

それはどことなく気楽に書く立ち位置です。
だから執筆も日常の範囲に入ってきた感覚です。
前作の感情の取扱説明書はそのために1ヶ月あけていたからこそ書けました。

つまりある種の非日常期間だったわけです。
それが変化したのでした。
文字数でいうなら今回は3分の1程度です。

それだから何とかできたというのもあります。
どうやら一般的にはこのくらいの量らしいです。
でも逆に文字数制限範囲でおさめる必要もありました。

だから短いのが楽とも一概には言えません。
どちらにせよ書くことへの心理的障壁は格段に下がった気がします。
ここから次につながる流れがあるのでしょうか。

もう少し主体的に関わってみようと思います。
何事も経験することに意味はあるものだと感じたのでした。

谷 孝祐
2019.1.5

能力を生かすエッセンス69

足首と膝の位置関係はどのくらいとらえられたでしょうか。
意外にこれで歩き方が変わった人もいたかもしれません。
座る時に足を置く位置が気になってきたかもしれません。

逆にこそばゆさを感じた人もいたことでしょう。
知覚できずにじれったい状態です。
今まで気にしたことがなければそれも仕方ありません。

とはいえそうだとしても意味はあります。
少なくとも下肢の傾きを自覚しやすくなったのではないかと推測します。
ということで次のテーマです。

今回は脹脛(ふくらはぎ)です。
ここを感じてみましょう。
場所を知らない人も少ないかもしれませんがそうだとしたら調べてみてください。

下肢の後ろ側全体と言っても良いかもしれません。
とはいえ案外広いエリアです。
なのでポイントを分けて考えましょう。

まず重要なのが膝の裏側のすぐ下のあたりです。
概ね膨らみが最も大きいあたりです。
ここを意識しましょう。

具体的にはそこに力を入れて動かしてみます。
足裏が床につくように座ってピクピクさせてみるのです。
感の良い人はこの範囲でも動かそうとする部位が何箇所かあるのが分かると思います。

基本的には動けばどこでも構いません。
ただ違いを自覚できるとより理想的です。
なので可能であれば力点を探ってみましょう。

ついでにやりやすさの違いも確認できるとさらに効果的です。
それによって筋肉への知覚力が高まります。
これに慣れてきたら次に進みます。

逆に一番下のエリアに移動してみましょう。
足首の上あたりです。
ここを動かそうとします。

この場合は踵が少し持ち上がったり足先にも力が入ったりするかもしれません。
そういう連鎖する動きも確認しておきましょう。
最後に中央部です。

同様にピクピク動かしてみましょう。
一番難しいかもしれません。
もちろん全て左右両方やってみます。

ひとまずそれぞれのやりやすさの差異もチェックしておきたいものです。
意識するポイントで動き方が変わる発見は重要です。
ということで楽しみながら続けてみましょう。

谷 孝祐
2019.1.6

2019年1月第2週の傾向

今年の始まりはいかがだったでしょうか。
長めの休み気分だったでしょうか。
確かに今日が仕事始めという人も多いのかもしれません。

ただその事実と感覚はどことなく乖離している気もします。
すでにそれなりの日数が経った気もするかもしれません。
場合によっては半月くらい過ぎた感じのする人もいることでしょう。

そのくらい時間の密度が上がっている様子です。
潜在的なプロセスが進みやすいわけです。
だから気づきが多角的に起きた人もいたのではないでしょうか。

親子関係などの大きな課題がすんなりクリアできた人もいたことでしょう。
一方で見ないことにしてきた問題が表面化したこともありそうです。
それらが濃密に起きてきやすい状況だったわけです。

顕在意識ではとらえきれず無自覚のままのものもあるかもしれません。
ということで丁寧に振り返っておきたいものです。

さて今週の傾向です。
概ね上りスパイラルというイメージです。
上昇気流が起きてきそうな予感です。

これにうまく乗れれば次の段階が始まるのかもしれません。
現実的な変化を伴うスタートです。
とはいえこれは昨年までの積み上げに立脚しています。

その意味で新春の形容に共鳴するような状況かもしれません。
エネルギーを蓄積する期間から芽吹く時期に入るということです。
ここで重要なのがそのまま受け取ることです。

実際にそれが何なのかは起きてみないと分かりません。
もちろん願わない現実であることもあるでしょう。
向かってきたベクトルの実現にいよいよ手放すべきものが明確になるかもしれません。

場合によっては一見すると破壊的に感じてしまうかもしれません。
逆に想像以上の良いことにも注意しておきたいところです。
むしろこちらの方がスルーしがちかもしれません。

無意識的に否定して大したことないと済ませてしまいやすいのです。
そんなわけでオープンな心持ちでいきたいところでしょう。
同時にすぐに解釈せずに受け入れることも大切です。

そのベースとしてゆったりした気持ちで過ごすことを心掛けたいところです。
個人的には流れの加速感に一致していられるよう意識していきます。

谷 孝祐
2019.1.7

ボーゲンでの異常なチャレンジ

試練とは突然やってくるものです。
といってもそこまで大袈裟な話でもありません。
実際にどうとらえるかは人によるでしょう。

結局はそれも評価に過ぎません。
つまり苦しさや厳しさを投影するかどうかというだけのことのようにも思います。
ただ自分にとっては望みもし得ない初めての経験となったのでした。

それは我が子を連れたスキーでのことでした。
いつものように山の上の方でランチをした帰りのことです。
今までと同じようにリフト1本分だけ下りてゴンドラに乗ろうと考えていました。

ちなみに子どもを支えて二人羽織のような状態でボーゲンで滑ります。
そこはそれなりに急な部分もあります。
なのでそれだけでもかなりの負荷があります。

とはいえこの範囲は昨年も体験しているので頑張れる算段でした。
休み休みいけば何とかなるというわけです。
しかし成長すると面倒なことも起きるものです。

ゴンドラ乗り場に着くともっと滑りたいと騒ぐのです。
どうやらスキーは楽しいようです。
でも自分では止まれもしないのにいい迷惑とも言えます。

大して足に力が入らないのです。
仕方ないので腹をくくって付き合うことにしました。
おそらく全部で距離が4kmくらいはあるのではないかと思います。

標高差も800mくらいでしょうか。
それをハの字で滑ったことはありませんでした。
当然ながら下り始めたら引き返すこともできません。

時間をかければ問題はないでしょうが日没も遠くはありません。
そうなればパトロールとのやり取りも面倒です。
少なくとも去年は到底無理な気がしていました。

だからこそでしょう。
必死でこれをクリアすることは壁を超えることを意味したように感じます。
その過程でボーゲンのポジショニングの精度が上がった気がしました。

我が子も必死で板を踏む意識が生まれてきました。
お互いに強制力がかかったからこその受け取りがあったものです。
お陰でホテルに戻ってから子どものジャンプする様子も変わりました。

膝の屈伸を使って跳ぶようになったのです。
面白いものだと思います。
ある種の危機的な状況に主体的に飛び込んでいくことの重要性を学んだのでした。

ひとまず代償である脚部の疲労を回復することにします。

谷 孝祐
2019.1.8

状態管理への最重要ポイント

子どもを支えてスキーをした疲労は想像以上に大きなものでした。
1日以上経ってやっとそれが実感できるようになってきたのです。
それまでは思ったよりも平気だったというくらいの認識でした。

ただどことなくやる気がない状態でした。
ダルさもありました。
少なくとも朝から滑りに行く気分にはなりませんでした。

頭がボーッとした感じもあり変化の最中のような感覚でもありました。
そんなこともあって休んでいたわけですがそれは良かったのかもしれません。
次第に脚部が棒のようになるほど疲れていたことが知覚できるようになっていきました。

まさに縦走登山のあとのようです。
また関節部のあまり使わなさそうな部分に筋肉痛のようなものも感じられてきました。
ハの字をそこまで維持したことがなかったからでしょう。

今まで意識したことのない場所が固くなった印象でした。
ということで調べてみると大腿筋膜張筋という骨盤の外側のようでした。
確かに思い返せばここに負荷がかかっていたことが理解できました。

ターン後半に姿勢を維持するためにかなり使っていたようです。
ある意味で良いトレーニングだったのかもしれません。
それはさておきこの体験で疲れすぎると疲労を感じられなくなることを実感しました。

昔もそういうことはあったのでしょうがここまで自覚したのは初めてでした。
要は無感覚に近づくのです。
そして無理しようとすればできてしまう雰囲気もありました。

頑張って行けば滑れる気もしたのです。
気が乗らなくともこなすことはできる状態です。
これに慣れればそれが普通になってしまうのもよく分かりました。

そうなると当然ながら自己認識と実態が合わなくなっていきます。
できるはずなのにミスすることも起きやすくなるのでしょう。
スポーツでいえばこういう時が怪我をしやすいのだと推測します。

転じて感情などでいうならミスコミュニケーションにつながるでしょう。
お酒を飲みすぎるのも同様のメカニズムかと考えられます。
心身ともに自分の状態管理という意味ではその領域に立ち入らないことが重要そうです。

ということは根源的には自己解離はそういうところから起きるのかもしれません。
確かに正しく感じられている範囲であればそこまでズレも生じにくいものです。
ある意味でそこまでが正常とも解釈できるでしょう。

もう少しこのボーダーラインへの注意を強めていこうと思ったのでした。

谷 孝祐
2019.1.9

自動運転の未来への希望

少し前のことです。
新聞で自動運転のことについて読みました。
もちろんそれを初めて知ったわけではありません。

いよいよ現実味を帯びてきたという話題です。
そうなるとひときわ実感も湧いてくるものです。
そして社会がどうなっていくかにも意識が向いてきます。

これは自分にとっては意外に大きな変化でした。
なぜなら比較的この件については保守的な感覚だったためです。
その技術に信頼が持てない気分だったのでしょう。

どこか眉唾の夢物語に感じていたわけです。
だからデメリットにフォーカスが当たりがちでした。
例えば霊的な影響による誤作動は起き得ることだと思います。

しかし具体的に何かがあったわけでもないのですがそれがひっくり返ったようです。
これが現実として認識する効果なのでしょうか。
よく考えれば誤作動のような誤認は人が運転していればあり得ることです。

そこを比較すればAIの方がマシなのかもしれません。
こうなると随分と囚われていたものだと思います。
個人的に昔は運転が楽しみでありそれ自体に価値がありました。

だからこそテクニックを磨いた経緯がありました。
そんなわけで無意識的にはそれが奪われるように感じていたのでしょう。
加えてどこか投影が混ざっていたわけです。

人為的ミスでそこまでの事故が起きると納得できていなかったわけです。
これらがどちらかというと自動運転に否定的だった前提かとも思います。
つまり科学技術への信頼感不足以上の意味がここにあったということです。

人間はもっとできるだろうという期待です。
しかし自動運転が事故の減少につながるのであれば非常に大きなことです。
ここをありのまま受け取れたのでした。

昨年末のニュースにもなった渋滞への遭遇が布石になっていたのかもしれません。
それにおける迷惑だけでなく実際の経済損失も大きなものです。
巻き込まれた人の心理的ロスも含めるとさらに事故は社会悪になるかもしれません。

また移動時間を運転に縛られなくて済むことは自由が増すことに当たります。
まさにいつでもハイヤーが自分のために待機しているようなものです。
しかも運転手に気をつかうようなこともありません。

趣味で運転するなら別にすれば良いだけだと気づいたわけです。
どちらも選択できるのであればその時々の状況に合わせられるわけです。
好きでもないのにせざるを得ない状況の人が解放されるのは望ましいことです。

煩わしいことをしなくて済めばその人の生産性も上がるかもしれません。
その合計は社会全体の好循環につながりうるわけです。
ということで次なる産業革命になる可能性に期待が出てきたのでした。

谷 孝祐
2019.1.10

通信技術の進展からみる地球否定

自動運転からの思考の展開です。
その前提には今年が5G元年とも呼ばれるところからかもしれません。
交通状況がデータとして把握されて共有されることで渋滞がなくなるわけです。

きっと現状のGPSとは異次元になるのでしょう。
通信速度が既存の4Gの100倍になるそうです。
ちなみに4Gへの移行によってスマートフォンがスタンダードになったようです。

今回はそれをはるかに超えるらしいです。
いよいよ場所に囚われずに様々なやり取りができるとのことです。
これによってITと縁のなかったような業界にも浸透していく見込みのようです。

当然ながら遠隔地との会議はスムーズになるでしょう。
接続がうまくいかないストレスは劇的に改善すると予想されます。
ただ大きな変化はAR(拡張現実)かもしれません。

それによりイメージを可視化できるようになるらしいです。
詳しくは知りませんが音を見るということもできるようです。
そんなわけで感覚的な世界にもITが入り込んでくるのかもしれません。

全てがデータで把握される状況に近づくわけです。
それはさておきこの進展は何を意味するのでしょうか。
ふとそんなことが気になりました。

確かに今まで実現し得なかったことが現実になるのでしょう。
例えば遠隔手術などという話題もあるようです。
いよいよ人類は空間の制約から解き放たれるのかもしれません。

ある種の霊的能力とされていた領域がデバイスを通じて一般化されるとも解釈できます。
そもそもメールのやり取りですら昔であればテレパシーしかなかったわけです。
一方でこの流れは地球の仕組みを超えるものとも理解できなくはないでしょう。

少なくともそこに向けての前進ととらえることもできるわけです。
そう考えると科学技術の進展は地球否定をも意味するという発想が出てきました。
とはいえそれは今に始まったことではありません。

スタートは農耕からとも言えます。
ありのままの地球をそこから改変し始めたわけです。
もちろんこれは様々な見方の一端でしかありません。

でも案外それは人類の集合意識にあるもののようにも思います。
暮らしている星と戦って自由を勝ち取っていく流れです。
そうであるなら自然な文脈は完全勝利に向かうことでしょう。

悲観論ではなくリアルの要素として気に留めておきたいところです。

谷 孝祐
2019.1.11

時間エネルギーへの知覚

ふと思いついたことがありました。
正確には腑に落ちたのかもしれません。
それは時間のとらえ方についてです。

今年の流れなのでしょうか。
なぜだかそこに実感が強まったのでした。
そのくらい時流の力が高まっているのかもしれません。

以前からそれ自体がエネルギーであるという理解はありました。
ただ利息の正当性を理解する上での概念として納得している程度でした。
機会費用というとらえ方以上にその方が実体感が持てたのでした。

しかしそれは全方位に適応する発想ではありませんでした。
何となくその要素は感じつつ手づかみ感が弱かったわけです。
そこが一気に変化したようでした。

全てのベースにそれがあることに気づいたのです。
時間のエネルギーが大前提にあるということです。
何を成すにしてもこれなくして実現し得ないわけです。

少なくとも思い当たる範囲では十分にこの視点は適応できそうです。
結局のところ何もかもエネルギーと解釈するならそれがあまねく含まれているということです。
程度に差こそあれ何でもかんでも時間が使われた結果だということです。

その中に完全に浸かって生きているからそれがあることを自覚しにくいのでしょう。
そう考えると時間を無駄にするという表現もより納得感が高まります。
エネルギーが十分に活用されずに流れていくわけです。

でも本当のところはどうか分かりません。
あくまでこれは本人の意識している範囲でのことでしょう。
意図した方向へ行かないと無駄ととらえられがちなわけです。

とはいえ実際は逆ベクトルということもあり得ます。
つまりネガティブな方向へ時間を使ってしまうということです。
場合によっては破壊的なこともあるかもしれません。

そうであってもそこにエネルギーが活用されているわけです。
加えて完全に無為な時間だったとしてもそうだと解釈できます。
全く変化が起きていないということはあり得なくそこに作用しているわけです。

究極的には生きることの大前提にもなっているとも言えるでしょう。
結局のところそれをどう使っていくかが人生とも考えられるわけです。
ということでそこにマッチングさせるエネルギーを効果的に選択してある種の化学反応を楽しんでいきたいと思います。

谷 孝祐
2019.1.12

能力を生かすエッセンス70

ふくらはぎへの知覚はいかがだったでしょうか。
うまく動かせたでしょうか。
単純にピクピクさせるくらいなら難しくなかったかもしれません。

でも動きの起点を意識するのは大変な人が多そうです。
それにはそもそもある程度の認識力が求められるためです。
ただうまくいかなくてもやってみることだけ意味があります。

もどかしくてもそれ自体が感覚を磨いてくれるわけです。
ということで結果に囚わずに遊び感覚で取り入れていきましょう。
では今回の部位に移っていきましょう。

下肢でまだ触れていないのが前面です。
これを意識してみましょう。
スネへの知覚力というわけです。

といっても再び筋肉主体です。
念のため確認するとスネの骨である脛骨の外側をとらえてみましょう。
どうやら端的に外スネと呼ぶ人もいるらしいです。

具体的には前脛骨筋と呼ばれる部位です。
ただそれを主体に長腓骨筋も関係してくると考えられます。
ここを動かしてみましょう。

最初は足を上げて単純に爪先を前後させてください。
準備運動のようなものです。
それに慣れたら足先をできるだけ膝に近づけようと引きつけます。

もちろんくっつくところまではいきません。
あくまで動かす上でのイメージです。
できる人は膝まで伸ばしても構いません。

そうするとスネの外側が硬直するのがとらえられると思います。
そしてその上でこの動きを記憶します。
その緊張状態を再現できるように覚えるわけです。

次に一旦元に戻して同じ動きをします。
しかし今度はスネの筋肉主導で足先を引きつけようとします。
筋肉を収縮させた結果として爪先が動いてくる感覚です。

うまういくと足首主導かこの筋肉主導か違いが分かるはずです。
最後にこれを意図的に切り替える練習をしてみます。
これにより歩く時のバランス感も変わるかもしれません。

谷 孝祐
2019.1.13

2019年1月第3週の傾向

先週はいかがだったでしょうか。
スムーズに流れに乗れたでしょうか。
表面的には平穏でありつつも内面的には進む力がかかりやすかった気がします。

いよいよ次への心理的な準備が整ってきたという人もいたかと思います。
腹をくくって新たなチャレンジを決めた人もいたかもしれません。
アイデンティティをうまく調整できたかもしれません。

とにかく今年の動きが力強く始まった印象はありました。
だからこそ無意識的な抵抗も出やすかったでしょうか。
しかしそれは自覚しにくい場合もあったようです。

そのため今までと何かが違う感じだけどよく分からない人もいたことでしょう。
それでぼんやり過ごした気分にもなったかもしれません。
同時に意識が過去に引っ張られてしまったこともあった感じです。

特に未処理の課題が多ければそうなりやすかったと考えられます。
なので突然のように昔のことが思い出されることも起きやすかったと思います。
とにかく潜在意識がかき乱されやすい雰囲気はありました。

こういう時は安定を大切にしたいのが通常でしょう。
ところが今はそうではなくそれも手放していきたいタイミングです。
むしろ分からないままに不安や怖れに飛び込んで向き合って進んでいきたいものです。

さて今週の傾向です。
ラストスパートという状況かもしれません。
持ち越してきている何かがあればそれを仕上げたいところです。

特に自己一致に向かってきたのであればこれは重要です。
今の自分に合った状態に適正化を進めましょう。
例えば自己認識を変えるなどということです。

意外にこれが忘れ去られて障害になったりするものです。
場合によっては子どもの頃のままということもあり得ます。
そこまででないにしても5年くらい前と変わっていないことはよくあります。

ということで見つめ直したいところです。
同様に環境を整えることも大切です。
特に不要な物はなんとかしたいものです。

また惰性で続けてきていることも同様です。
加えて思考パターンもこれにあたります。
とにかく守りの発想が強い人は注意が必要でしょう。

これまでではあり得ないくらい進んだところにセルフイメージを置いてみたいものです。
もちろんすぐに動きを出せないものも多くあるかもしれません。
そういった場合は方向付けだけでもしておきたいものです。

これが今年を分ける場合もありそうです。
個人的には着実さを増しながら5歩先を歩くイメージで過ごしてみることにします。

谷 孝祐
2019.1.14

確定的な変化づくめの2019年

ふと話題に出たことです。
それは今年がどのようなタイミングかという内容です。
端的には変化の時期ということでしょう。

ただそれは思っている以上に大きそうだという予測です。
もちろん何となくそう感じるというのはあります。
すでに心理的には変わってきている部分もあるでしょう。

心境が今までと違ってきている人もそれなりにいそうです。
とはいえこの発想は顕在的にもとらえることができるでしょう。
過去からの連続ではない場所に向かっていくかのようでもあります。

まだ実感は薄いのかもしれませんがそれを見越しておくことが重要な気もします。
そんなわけで一応ここに記しておこうと思います。
分かりやすい多くなものは元号が変わることでしょう。

平成が終わり新たな時代が始まるわけです。
しかも生前即位という未体験の状況です。
だから何ということもありませんが集合意識の動きには影響しそうな気もします。

少なくとも事前にそこへの意識が高まるのは確実です。
このタイミングで古神道勉強会を行うのも何か意味があるのかもしれません。
改めて日本に生まれた意味を感じやすい可能性はあります。

歴史をみても改元のあとに大きな何かが起きている傾向があります。
それは大概は望ましくはない出来事でしょう。
でも転換点になることは確かのようです。

それに重なるように前にも触れた5G元年があります。
これはどことなく面白い一致に感じます。
同時にオリンピックに向けた動きはどんどん活性化することでしょう。

もしかしたらこうやって重なると浮つき気味になるのかもしれません。
とはいえ年始から経済は暗雲が見え隠れしているようでもあります。
先行きはいよいよ明るくなさそうな気配です。

元旦に発生した台風も自然災害を暗示するかのようでもあります。
昨年からの流れが鎮静するとは思い難いものです。
こんなわけで消費税増税は霞みがちかもしれません。

そこに個人的には合唱のワシントンもあります。
すでに盛りだくさんであることが確定している気分です。
そう思うと来月には生まれて初めてのヨーロッパアルプスでのスキーもありました。

良し悪しに関わらずありのまあ受け取れる状態を保っていきたいものです。

谷 孝祐
2019.1.15

運転好きは過去の自分

にわかに今年は自動運転への意識が高まっているようです。
何かの影響もあってなのでしょうか。
それとも秒読み段階を察知してなのでしょうか。

今までとは実感度が全く違うのです。
昨年末の気づきのレベルではありません。
事あるごとにいちいち頭の片隅に登場するかのようでもあります。

世間の意識が随分そちらに向いてきているのかもしれません。
またしてもきっかけは渋滞でした。
その時にふと早く自動運転ができないものかという発想が出てきました。

前提にはそうすればこんなこともないのにという感覚があるのでしょう。
いつしかAIへの信頼感が高まっているようです。
いずれにせよ人の運転よりは圧倒的にマシな交通状況が思い描かれているわけです。

それは動画でイメージできるくらいになっています。
実際に見たことがあるわけでもないのにこうなるのは珍しいかもしれません。
どこかに共鳴している可能性もあるでしょう。

ちなみこの時は故障車が原因のようでした。
ということで自動運転車の故障にも意識が向きました。
それすら起きえないセルフチェック機能が働く領域にいずれは進むはずです。

もしくは自己補修機能も想定されます。
しかし過渡期はそうはいかないでしょう。
現状と同じようなことは起き得ます。

ただそこまでの渋滞が起きるのかは分かりません。
どことなくマシな気もするわけです。
リアルタイムで情報共有がなされてルートが最適化されれば交通集中度は高まりにくいとも言えそうです。

こんなことを考えていて思考がジャンプしました。
気づけば運転が好きという自己認識が薄くなっていることがキャッチできたのです。
むしろ消えて無くなったのに近い感じもします。

しなくて済むならそれで良い気もするのです。
どうやらフラットにどちらでも良くなった雰囲気です。
きっとそこで得られていた心理的価値がもういらなくなったからこその変化だと推測します。

具体的にそれが何なのかはとらえきれません。
でも刺激を求めていた要素はありそうです。
確かにそれを通じて得た感覚もあったことでしょう。

スキーとともに力学的感性につながっていることは確かです。
そんなわけで固定観念レベルのみに残った過去の残骸は処理しておくことにします。
どちらかといえば得意な方だけど好きというほどでもないというさじ加減です。

谷 孝祐
2019.1.16

鏡の自分は過去のイメージ

運転への自己認識の変化からの展開でしょうか。
自然とアイデンティティに意識が向きました。
とはいえ不明瞭なものです。

特段これといったものはありません。
音楽家とか塾講師というものを手放してからは意識することもなくなっていました。
実際に自己一致すればするだけそれは不要なものになっていきます。

存在価値を承認できればわざわざ拠り所も必要ないわけです。
本質的に自分は自分でしかないわけで何かをアイデンティティにする意味もないでしょう。
だからそこから解き放たれたところに囚われのない状態があり真の自由があるのだと思います。

これは何者でもあって何者でもない感覚です。
そこで生じる客観的自己認識こそ本来の自分かもしれません。
こんな感じでどちらかと言えば自分にはアイデンティティがないかのような主観すらありました。

ただ正確には過去と同様の性質のものがなくなっただけとも言えます。
つまり他にそれに該当しそうなものがあり得るということです。
だからこそこのタイミングで気になったのでしょう。

ということですぐに見つめてみました。
確かに内的にそれはないものの外的にはあるような知覚がありました。
それは他者から見た視点とも言えます。

実際に以前に何人かに言われたことが結果的にそうなっているかのようでした。
当然ながら自己価値と結びついているわけではないけれど自己認識とはテンションが異なる雰囲気でした。
いうならば存在を形容するものというところでしょうか。

存在価値とは結びつかない客観視から生まれた自己認識で全体を言い表すようなものです。
これはアイデンティティの第二階層ともとらえられそうです。
実感度は高くないけれどゆらぎの少ない周知の事実となった認識です。

ここに鏡というワードがありました。
関わる相手の状態をうつす存在ということです。
何となく今までそんな役割であった気はします。

ある種の無個性とも言えるでしょう。
以前はどこかこれに自己一致している感じはありました。
ぴったりきている心地よさがあったのです。

しかしいつしかズレが生まれていたのかもしれません。
微細な違和感がキャッチされたのでした。
とはいえ見過ごしそうな小さなものです。

知覚しただけで何とかしようと実感するほどでもありません。
そんなわけでまずは適正化を意図することにしました。
まずはフラットに白紙に持っていくようにしてみます。

谷 孝祐
2019.1.17

客観性に関する集合意識の魔力

鏡というアイデンティティを手放してみることにしました。
しかし結局のところこれは固定観念でしかありません。
しかも大した意味づけもないものです。

いうならば知識とさほど変わりありません。
そんなわけで否定してみるだけですぐに崩れていきました。
そこに一切の反発もなくすぐに受け入れられたわけです。

まるで上着を脱ぐだけかのような体感でした。
とはいえ初めてのことで面白くもありました。
その脱ぎ着が簡単な性質をとらえたのでした。

とはいえそれも無意味でしょうか。
わざわざ一貫性を失った人になるメリットもなさそうです。
ということでこれも不要だという気分になってきました。

確かにささやかながらスッキリ感もあったのです。
どこかその心地よさがとらえられました。
それはまるで薄着で過ごせるようになった気楽さと似通ったものでした。

とはいえ再びいつのまにか第二のアイデンティティが生じてくる可能性はあります。
前も自然発生だったわけです。
ここに意識が向くと次の気づきに発展しました。

そもそもそれは客観視があったからこそのものでしょう。
人に言われたことと客観的自己認識が合致したからこそ生まれたわけです。
そんなわけで急遽それを手放す必要性をとらえたのでした。

気がつけば客観性に囚われていたわけです。
もちろんこれは必要でもありますがやはりツールの一つでしかないでしょう。
適宜状況に応じて使えれば良いだけです。

そう思うとどこか怖さが認識されました。
どことなくそれは安心材料だったのだと考えられます。
だからなのかある種の同一化も進んでいたようでした。

こんな流れで新たな課題がとらえられたわけです。
そしてすぐに取り掛かるとこちらは簡単にいかないことが自覚されました。
同時にそこに集合意識的影響もとらえられました。

どうやら客観性を善とする力が強固にあるようです。
個人の範疇よりもこちらがパワーを持っているかのようでもありました。
ただ構造が分かれば対応もしやすくなるものです。

感覚的にもがいて抜け出てみました。
するとその裏側にある多大な不安が観察できました。
変なところに同調してしまっていたものだと思いました。

主客未分の中のどちらでもない主客が同期する領域にいることにします。

谷 孝祐
2019.1.18

食べなくてもダメだった卵

ちょっとしたことですが意外な体験がありました。
初めて我が子のお弁当を作ったのです。
約束したわけでもなくなんだかそんな流れになりました。

たまたま朝早く目覚めたことがきっかけです。
わざわざ自分がいるのにそのために母親を起こすのもどうかと思ってのことでした。
幼稚園に入って9ヶ月経ってのことです。

それ自体がどうということはありません。
とはいえ小さなお弁当箱に何を詰めるかはちょっとアイデアが必要な気もします。
このサイズは人生初めてでした。

だから本人に何を入れるのが良いか確認しつつのことでした。
すでに定番が決まっているため勝手に作る必要もないでしょう。
半ばそれがアドバイスにもなるわけです。

幸い突拍子もないネタは出てきませんでした。
気を遣ったのかオニギリではなく白ご飯に梅干しで良いとのことでした。
子どもにとっても異例のことであまり要求できない気がしたのかもしれません。

もちろんおかずは別ですが案外楽なものでした。
ただ問題がありました。
リクエストに卵焼きがあったのです。

自分がそれを食べなくなってからすでに4年以上経っています。
もちろん昔は調理もしましたが久しく触れていません。
しかも当時は半熟気味に仕上げる傾向がありました。

そのままのイメージでは幼稚園のお弁当には向かなそうなわけです。
そのためちゃんとできるのか懸念がありました。
とはいえこれは杞憂でした。

反省点はありつつもそれなりにはできたわけです。
ところが問題は別のところにありました。
それだけでもアレルギー反応のようなものが出てきたのです。

鼻が詰まって目が痒くなり喉もおかしくなっていきました。
咳き込むようにもなりました。
しばらくそれが続きました。

たかだか卵一個扱っただけなのにそのありさまです。
ここまでNGだという自覚はありませんでした。
随分と体が変わったものだと思ったのでした。

谷 孝祐
2019.1.19

能力を生かすエッセンス71

スネへの知覚力は少しは増したでしょうか。
一言で足首を動かすといっても異なる方法があることが感じられたでしょうか。
面白いものでここを磨くと下肢全体がとらえやすくなることもあるものです。

そうなったら脹脛に戻ってみるのも一考でしょう。
下腿三頭筋のそれぞれがキャッチしやすくなっているかもしれません。
ヒラメ筋および腓腹筋内側頭と外側頭を別々に認識できる可能性があるわけです。

深層部はまだ難しいにしても表層は分かりやすくなる傾向はありそうです。
そしてこの部位は案外重要です。
なぜなら自己認識に十分に入っていなかったりするのです。

それが自己理解の妨げになったりもします。
もしかしたら足の冷えやすさはそこにあるかもしれません。
おそらくそれらの筋肉が滞っていればポンプの役割が低下して滞りやすくなると推測されます。

ということで心当たりがあれば定期的にトレーニングしてみたいものです。
さて今回はもう一段階進みましょう。
膝です。

体の使い方が適正でないと問題が出やすい部位のように思います。
そんなこともあり脚部において最も重視したいポイントでしょう。
場合によっては全身にも影響を与えるしその逆もあり得ます。

だからこそ望ましい状態を保っていきたいところです。
ここの部位での基本も前面と背面です。
まずは分かりやすいところとしてお皿からいきましょう。

正確には膝蓋骨です。
ひとまずここがどのくらい動くか確認してみてください。
楽に膝を伸ばしてその縁を指で押してみます。

マッサージするような感覚でも構いません。
問題がなければ前後左右にすぐに移動していくと思います。
ただ痛みがあるのであれば無理は禁物です。

それは周囲が固まってしまっているからこそのことです。
強引に動かそうとしても良いことはありません。
なので心地よい範囲で刺激できればと思います。

ある程度の柔軟性があればこうするだけでこの骨への認識力は高まると予想されます。
そうしたら今度は触れずにお皿の形をイメージしてみましょう。
加えてその中心も知覚しようとしてみましょう。

厳密でなくて構いません。
そうすることで大腿と下腿の連動性が高まりやすくなります。

谷 孝祐
2019.1.20

2019年1月第4週の傾向

先週はいかがだったでしょうか。
ラストスパートというような感じだったでしょうか。
自己認識のアップデートは起こったでしょうか。

概ねそこへ力がかかってくる印象ではありました。
そのためアイデンティティやセルフイメージにまつわる気づきも起きやすかったかと思います。
それらの定義もしやすかったことでしょう。

とはいえ劇的というよりは穏やかな圧力でした。
なのでそれを生かせていない人もいるでしょう。
そうであるならとにかく自主的にも刺激を入れたいものです。

具体策としてはマクロレベルの今年の変化に意識を向けてみましょう。
2019年の予定となっている事実を俯瞰してみるだけでも実感度は変わるものです。
歴史は繰り返すのか未知のゾーンに入るのかという雰囲気です。

むしろその両方とも言えそうです。
そこへの認識が自己変容を後押ししてくれることでしょう。

さて今週の傾向です。
マーブル状の安定という様子かもしれません。
様々な要素が混在したまま動きの少ない状況です。

これは今までにない様相と予測されます。
そして現実的にはいくつかのパターンが考えられます。
かなりクリアな状態であれば混ざる要素も少ないので非常に安定的かもしれません。

淡々と積み上げがうまくいきそうです。
一方でそうでなければそうでないほどアップダウンが起きやすそうです。
例えば楽しさと悲しみと怒りと不安と喜びが混在するような感じです。

こういったものが落ち着かずにコロコロ入れ替わるかもしれません。
もちろん同時にキャッチできることもあるでしょう。
いずれにせよ翻弄されるベクトルに近づきやすいものです。

しかしそれをどうにかしようとするのも得策ではありません。
さらに複雑にしてしまう可能性が高いのです。
ということで見守るくらいが安全かもしれません。

より自分を俯瞰するような距離で見つめるのです。
結果的にこれは自己認識における発見を生み出すことも考えられます。
荒波の中をうまく流されていきましょう。

個人的には新たな安定に根をはるくらいの意図で過ごしてみることにします。

谷 孝祐
2019.1.21

抑圧の原因になりうる優先順位

優先順位は重要でしょうか。
確かにそうかもしれません。
これは一般的にも言えることでしょう。

実際に物事をうまく進める上で効果を発揮することかと思います。
外せないタスクを確実にこなすために必要なわけです。
しかしそこに囚われるのも考えものでしょう。

例えば優先順位に従うことで抑圧になるかもしれません。
結局のところそれはある価値観の軸において生まれるものです。
そのため他の志向性がないがしろにされてしまうかもしれません。

特に観念的な順位であればなおさらでしょう。
仕事ではよく起きがちとも考えられます。
もしかしたらお金の使い方も似たようなところはあるのかもしれません。

心理的な重要度がブラインドになって満たされなくなってしまうわけです。
そうなるとやる気の低下につながることもあるものです。
結果的に非効率を招きかねないわけです。

今年はどことなくその傾向が強まりそうです。
ということで注意したいところでしょう。
そもそも総合的に優先順位を決めることは簡単ではありません。

様々な軸をしっかりとらえて並列に扱う必要があります。
その前提に全部を見ようとする意識も大切です。
ただここはジレンマかもしれません。

なぜなら優先度を評価しない方が全てをとらえようとしやすいのです。
つまり優先順位に関係なく全部やろうとしている方がちゃんと見れるということです。
順位があると思うと無意識的に濃淡ができてしまうわけです。

結果的に見誤りも起きやすくなるでしょう。
究極的にこれは自分に対する承認が弱い状態とも解釈できます。
全部をちゃんとできるとしていないわけです。

もしそれが可能ならわざわざ優先度を考えることもないでしょう。
そんなわけでいっそのことこの発想自体を手放したいところかもしれません。
とはいえこの補助輪が機能することもあるものです。

そうならば適切に使っていきたいところでしょう。
それに縛られずに随時組み替えていけるくらいの距離感でいきたいものです。
気楽な指針くらいで置いておくのが良さそうなバランスだというわけです。

谷 孝祐
2019.1.22

炎の揺らぎが照らした過去生

とある日の夜中のことです。
それは自宅ではなく滞在先で起きました。
なかなか迷惑なことです。

でも仕方なくもあります。
本人にとってはなかなか大変だったことでしょう。
深夜2時過ぎくらいに泣き始めたのでした。

これ自体が珍しいことです。
しかも叫ぶような感じもありました。
とにかく体が痒くて耐えられない様子でした。

それでも一旦は寝かしつけてその場を離れました。
ところが何度も繰り返すことになりました。
ちょっとするとまたわめくのです。

ちなみに我が子はリビングのソファーで眠っていました。
どうしてもそこが良いと言い張ったのです。
理由はともかくこれも滅多にないことです。

親の寝室とはそれなりに離れていました。
なのでいちいち起き上がっていかなければなりませんでした。
ともかく少し異常な感じなので手を当てて何が起きているのか意識を向けてみました。

そこは暖炉の近くでした。
おそらくこの環境は彼女にとって生まれて初めてだと思います。
その火の揺らぎが刺激になったのでしょうか。

過去生トラウマが表出してきたかのようでした。
焼きただれて苦しむ様子がキャッチできたのでした。
きっと夢で追体験していたのでしょう。

そんなわけでヒーリングしてみました。
ところが半分眠りつつもすごく嫌がりました。
改善のプロセスにおける顕在化を受け入れられない雰囲気でした。

ということで軽めに長く続けました。
こうしてやっと解放されたのでした。
ところが残り香のようなものでしょうか。

その後も2度ほど発作のようなぶり返しがありました。
ただ山場は越えたのだと思います。
横について見守っていればすぐにおさまる程度でした。

こうして朝方にやっと自分も眠りにつけたのでした。
ふとこういう時にインナーチャイルドに過去生トラウマが転写されるのだと実感したのでした。
だとしたらこういうことを理解し得ない親の元ではそれは逃げられないパラダイムでしょう。

生きづらさの核はこんなところにもあるのだと理解したのでした。

谷 孝祐
2019.1.23

我が子のスキー急成長

子どもの成長は時に眼を見張るものがあります。
そんな体験がありました。
それはスキーでのことです。

初めてちゃんとレッスンを受けさせました。
半分は託児所がわりでもあります。
ただまだ年齢の問題でグループでは受け付けてもらえません。

ということでプライベートになりました。
要はマンツーマンです。
でも結果的にこれは良かったのかもしれません。

完全に本人のペースに合わせてもらえるわけです。
最初はたかだか子どもの初心者に勿体ないという気もしました。
しかしその認識は覆りました。

そのくらいの効果を感じられたわけです。
ちなみに午前中はほぼ意味のない雰囲気でした。
お腹がすいてやる気がなかったようです。

そのため途中からずっと休憩していたとのことでした。
ソリをやりたいと言い張って抵抗したらしいです。
実質的に無駄だったとも言えます。

ただそれがあったからこそ成長にもつながるともとらえられるでしょう。
無理強いがなかったのが功を奏したのかもしれません。
空腹は本当だったようで午後は一変したのでした。

ちゃんと練習できたようでひとまず1人で最低限は滑れるようになりました。
本人も楽しかったようです。
自己認識も変わって自信がついたようでした。

実際に初級者コースであればほぼ問題なさそうです。
背が足りないので1人だけでリフトには乗れませんがある種の自立かもしれません。
興味深いのがなかなか転ばないことです。

そこまで体制が崩れることもありません。
おそらく恐怖心が少ないのでしょう。
何事も小さい頃から慣れることに意味はあるものだと感じます。

むしろ危ないくらいです。
暴走しだしてもすぐには止まらないのです。
ただやっと親が教えることも聞き入れられるようになったのが大きな収穫でした。

前回は全部支えながら降りた下山コースの緩斜面部分はサポート不要になったのでした。
その様子から着々と受け取るということはこういうことかと思いました。

谷 孝祐
2019.1.24

新たに開かれたスラローマーの扉

久々にスキーを楽しめることがありました。
きっかけはふと気になったことが出てきたところからでした。
ショートターンがしやすい板にしたら滑りがどうなるかと思ったのです。

無意識的にはストレスがあったのかもしれません。
短いテンポでのターンがどうもうまくいかなかったのです。
正確にはイメージ通りにいかないとも言えます。

もちろんスキルの問題ともとらえられます。
というより今まではそう理解していました。
でもそれだけでない気もしてきたのでした。

なのでレンタルしてみることにしました。
ちなみに今までの板はレジャーとしてかなりのクオリティのものでした。
これに変えた時も感動があったものです。

しかし飽きが出てきたのかもしれません。
オールマイティの優等生な印象なのです。
そんなこともありスラロームの板を借りてみました。

アスリート仕様と言って良いのかもしれません。
実際に滑ってみると全く別物の雰囲気でした。
自分から板に働きかけないと曲がらないのです。

いうならば全てにおいて自力という感じでしょう。
道具が助けてくれないわけです。
ただレスポンスの素直さは大きな魅力でした。

ターンの始動からクイックな反応が得られるのです。
もちろん加速感もあります。
ミスが顕著に自覚できるメリットもありました。

まさに主体的に滑る実感でした。
まだまだ扱いきれないもののその面白さを体感したのでした。
特に低速での難しさがあります。

完璧でないことがあらわになる感じです。
こんなわけでどことなく次なる扉が開かれた印象でもありました。
ひとまずマテリアルにもっとこだわってみても良いのかもしれません。

マニアな領域に入っていきそうですが自己一致を追求するのはそういうことなのでしょう。
とりあえずこのモデルの来シーズン版を検討することにします。

谷 孝祐
2019.1.25

忘れられていた腹部

それはオイルマッサージを受けてのことでした。
セラピストは初めての人でした。
時にそれが功を奏する場合もあるでしょう。

今回はまさにその体験でした。
確かに上手ではありました。
手技もどことなく今までにない雰囲気でした。

状態に合わせて調整しているのかもしれません。
ただ印象的なのはその部分ではありませんでした。
自己認識のなかった箇所を指摘されたのです。

ノーマークだった場所とも言えます。
結果的に次なる身体的課題が明確になったのでした。
これまでは以前ここにも書いたように肩甲骨上部の可動域を広げることを指針にしていました。

それが実感レベルでも進んだからでしょうか。
完璧には程遠いものの十分な動きは出てきた様子です。
だからこそのタイミングかもしれません。

問題は腹部でした。
どことなく固いというのです。
これは神経的なものだとのことでした。

しかもかなり特徴的らしいです。
常に総合的に物事を考えて責任ある発言を求められるとなりやすい状態とのことでした。
ドンピシャとまではいかなくとも十分その傾向はあるように思いました。

脳にエネルギーが取られてその領域が不活性になるようです。
意識せずとも思考が働いているのは通常です。
一般的にいうなら休ませることが重要だというわけでしょう。

しかしその解釈は面白くありません。
好んでしていることを止めるのも弊害が出そうです。
ということで両立を目指したいところなわけです。

少なくとも脚部や背面に比べて意識が向く度合いは低かったと感じます。
それらは不具合や凝りを自覚しやすく指摘もされやすかったためです。
だからメンテナンスに注意もしています。

そんなわけでお腹もそこに含めれば良いのかもしれません。
ひとまず意識を向けて調整していこうと思います。

谷 孝祐
2019.1.26

能力を生かすエッセンス72

膝のお皿の動きはいかがだったでしょうか。
それなりに柔らかさがあったでしょうか。
案外固まっていたということもあるでしょう。

どうやら驚くほど動かない人もいるようです。
どうであれ少しでも良い状態に近づきたいところです。
そしてそこへの知覚は少しでも高まったでしょうか。

これが具体的に何かということもないかもしれません。
単純に認識力があるかどうかだけのことです。
だからこそ逆に難しい場合もあるでしょう。

そこで次のステップです。
といっても目的は同じです。
つまり膝蓋骨を中心とした膝をとらえるわけです。

ただ今回はもう少し実践的です。
こちらを通じて感覚がとらえやすくなることもあると思います。
なので前回の補完のような意味合いもあります。

さて本題です。
まず歩いている時に膝の向きを確認してみましょう。
外向きでしょうか内向きでしょうか。

本来であれば概ね足先と同じ方向であれば妥当です。
ということでそれと比べて外とか内という観点になります。
実際には微妙な違いでしかないかもしれません。

分からなくても何となくとらえようとすることに意味があります。
それは癖づけられた脚部の状態を表しているかもしれません。
当然ながらズレが大きければ膝の負担も大きくなりがちだと推測されます。

今のところ不具合がなくとも年をとったらどうなるかわかりません。
そのためここは改善していきたいところです。
でもいきなりうまくいくものでもないでしょう。

強引に強制して悪循環になる可能性もあります。
そんなわけでここでもひとまず認識することにとどめるようにします。
改善への欲求が出てくるまでは特に何もしないように待つのです。

あえてするとしたら前回のようなマッサージでしょう。
可動性が高まれば良い位置におさまりやすくもなります。
いずれにせよ重要な場所だけに丁寧に向き合っていきたいものです。

谷 孝祐
2019.1.27

2019年1月第5週〜2月第1週の傾向

今月も残り数日となりました。
どのような気分でしょうか。
かなり個人差があるのではないかと思います。

例年以上にあっという間に過ぎ去ってしまった実感でしょうか。
それとも濃密すぎて倍ぐらい時間が経った気がするでしょうか。
もちろんその両方が同居する場合もあるでしょう。

思ったほどやるべきことが進まないことに焦りが出てきているかもしれません。
もしくはそれに対して許容が広がってさらにこなせないということもありそうです。
どうであれ今までとは何か違う感じがしている人は多そうです。

とにかくどこかに連れていかれてしまうような不安も出てきやすいのでしょうか。
ポジティブとネガティブが混在してとらえにくい雰囲気ではあります。
なんだかよく分からないというのが正直なところかもしれません。
こういう時は観念的に評価せず感覚を信頼していきたいものです。

さて今週の傾向です。
最後の仕上げという印象です。
そこに向けた力がかかりやすい状況です。

これまでの長いスパンの流れがいよいよ閉じるのかもしれません。
まさに一時代が終わるというところなのかもしれません。
そこでのテーマは無理をしたとしても事をなすというものだった気がします。

つまり頑張るパラダイムです。
努力と結果が重視されるとも言えるかもしれません。
きっとここが切り替わるのでしょう。

そうであるならそれにまつわる自己の内部にあるものは処理しておきたいものです。
またその裏側には分離感もありそうです。
個である意識の強さです。

ここも柔軟にしておきたいところです。
ちなみに移行した先は一体感とあるがままに在ることがテーマになると予想されます。
肯定的とも言えるでしょう。

ある意味で道教的世界観に近いのかもしれません。
対象が集団であれ自然であれなんであれそういった感性で接したいものです。
気の向くまま赴くままを大切にしたいところです。

ただしそれは自己都合でもありません。
そこに向けた準備もかねて怖れや不安と否定感を手放して信頼に切り替えていきたいものです。
個人的には古来からある巨木のような心持ちで過ごしてみることにします。

谷 孝祐
2019.1.28

非日常と日常の隙間にあるスキー

似たような事柄でも変化を象徴することがあるのでしょう。
目的が同じでも重要な要素が変わることでそうなるものです。
それは今回のスキーでのことでした。

滞在先が例年とは異なったことがそれに当たります。
行き先は定番ですが結果的に過ごし方が違ってきました。
だからなのかどことなく深化した雰囲気です。

やはり空間の影響は大きいのでしょうか。
どちらが良い悪いではなく受け取れるものが変わったようでした。
あえて形容するなら籠った感じかもしれません。

どことなく外界と遮断されたような雰囲気です。
自己対峙には良かったのでしょう。
どうやらあぶり出しは起きやすかったようです。

とはいえもちろんそれを求めて選んだわけではありません。
結果的にそこに行き着いたようなものです。
たまたまゲレンデ近くで見つけたため試しにという心持ちでした。

でもこれが流れなのかもしれません。
少なくとも今までと同様の体験ではなかった実感があります。
ただそれがどんな刺激だったのかは未だにとらえられないものです。

一緒に過ごしたメンバーの様子からは伺えるものの自分にとっては不明なのです。
そんなものなのでしょうか。
確実なのは自炊が主だったためいつになく料理したくらいでしょう。

これが決定的な差とも言えます。
もしかしたら場所よりも食の影響だったのかもしれません。
ふとそんなふうにも感じます。

高級さはともかく食材の質はそれなりだったわけです。
とはいえ本当はきっと両者が渾然一体となってのことでしょう。
どうであれ潜在意識に刻み込まれたような気はします。

ほとんどただ単に過ごしただけなのに面白いものです。
こんなことも初めてな様子です。
意図せざる結果が意味をなすタイミングなのでしょうか。

何となく今後を暗示している体感でもあります。
思えば今年はスキーに対しても大きな変革期なのかもしれません。
もう少しその実態感をつかまえてみようと思います。

谷 孝祐
2019.1.29

少量で満たされる自然栽培の力

何度かの体験が積み重なって感じることが出てきました。
それは食についての新たな視点です。
概念的に思っていたことへの実感が生まれました。

最初に意識が向いたのは昨年の12月でした。
成塾実践会第2タームの最終回のことです。
この日は調理がテーマでした。

なのでレンタルキッチンスペースで料理をしました。
全8回を通して食事について触れてきた集大成でもありました。
ということで質の良い食材を揃えました。

具体的には自然栽培のものにこだわりました。
ほとんどの人にとって初めてだったかもしれません。
だからなのか予定の半分くらいしか材料を使いませんでした。

食べ慣れなさが無意識にあったのでしょうか。
第1ターム最終回と同じくらいの量を想定していたのに大きな誤算でした。
つまりみんなが半分くらいしか食べなかったのです。

適量についても触れてきたからこそ変化が起きたのかとも思いました。
しかし一概にそうとも言えないようです。
今回のスキーでも同様のことが起きました。

貸別荘スタイルで自炊のことが多いためにそれが明らかになりました。
もちろん完全にこだわるまではいかないまでも野菜は基本的に自然栽培でした。
そしてまたしても同じようなことになりました。

やはり想像以上に食べる量が少なかったのです。
そこで本当に良いものだと満腹感が早くやってくるという推測が生まれました。
満足してしまってもっとという気分にならないのかもしれません。

明らかに少量で収まってしまったのでした。
これは面白いことです。
適度に美味しいものはたくさん食べるのに本当に良いものはそうではないという状況です。

体が満たされるとそれ以上は欲しないのかもしれません。
ということは飽食の時代の一因は質にあるとも考えられそうです。
お腹いっぱいでも食べてしまうのは実はまだ満足していないからと言えるわけです。

これが心身のズレにつながることも想像できるかもしれません。
この観点から働きかける自己一致も重要な気がしてきました。
でもそうなると一般的な食の楽しみは減るのかもしれません。

なかなかジレンマだと思います。

谷 孝祐
2019.1.31

公開終了日:2019/4/30